今月のことば
自分の番
うまれかわり 死にかわり
永遠の 過去のいのち 受けついで
いま 自分の番を 生きている
それが あなたのいのちです
それが わたしの いのちです
相田みつお
さとり
病(やまい)のないのは第一の利(り)、
足(た)るを知るのは第一の富(とみ)、
信頼あるのは第一の親しみ、
さとりは第一の楽しみである。
生きる喜び(死の継ぎ目に生がある」
わたしたちは、いつか必ず、今生きているこの世から去ってゆくべき存在です。
「名残惜しく思えども、娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、かの土へは参るべきなり」親鸞聖人
いつまでもこの世にいたい、離れたくないとは思っていても、この世での寿命が尽きるときが必ずまいります。その時には任せるほかはありません。かって故山田恵諦天台座主がいっておられるように、「生者は死者のなかにつつまれた少数者にすぎない」のです。死は決して生から離絶したものではなく、生と地続きにあるもので、また怖れるべきものでもありません。
死の継ぎ目に生があるのです。
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
永六輔
花の咲いている根元に
きれいな花を咲かせる養分がある
永遠流転の太陽が 恒久なる如く
亡き人の 良き記憶は
永く 我等と共に有り 篠沢秀夫
幸せはいつも 自分のこころが決める
うばい合えば足りぬ 分け合えば 余る
相田みつを
生死即涅槃 煩悩即菩提
(しょうじそくねはん ぼんのうそくぼだい)
生あるところに 死あり 迷いのあるところに 悟りあり
これは迷いそのものの中に悟りがある。すなわち、悩みや苦しみがあるからこそ、その彼方に生きる喜びがある。日常生活そのものの中に悟りがある。すなわち、生まれたり死んでいくその現実をそのまま受け入れられるところに 過去・現在・未来の三世にわたる命を知ることができる。
夫婦生活とは
夫婦生活とは長い会話である
二十代の夫婦は、愛で結ばれる夫婦
三十代の夫婦は、努力して夫婦
四十代の夫婦は、我慢の夫婦
五十代の夫婦は、あきらめの夫婦
六十代の夫婦は、感謝しあう夫婦 永 六輔
苦しみ 悲しみ
だれにだって あるんだよ
ひとにはいえない くるしみが
だれにだって あるんだよ
ひとにはいえない かなしみが
ただだまっている だけなんだよ
いえば ぐちになるから 相田みつを
交通・アクセス
公共交通機関でお越しの方へ
- 常磐線 水戸駅下車 水戸駅北口ターミナルよりバス利用 約25分
- 茨城交通「大串公園(路線No.52)」行き。大串公園バス停下車向い
- 詳細は茨城交通のWebサイトをご確認下さい。
- 常磐線 水戸駅にて臨海大洗鹿島線乗換
- 常澄駅(水戸駅より2駅10分)下車 徒歩25分(2km)
お車でお越しの方へ
- 常磐自動車道・水戸JCより東水戸道路に入り、水戸大洗IC出口より約3分
- カーナビを利用すると山門階段下の正面駐車場に案内されますが、階段が急ですので、大串貝塚ふれあい公園前の門を奥に進み、客殿前駐車場をご利用ください。